(以下、ネタバレあり)
ビョン・ソンヒョン監督の十八番である愛憎劇
主人公は、殺人請負会社MKエンターテイメントに所属する無敵の殺し屋でありながら、シングルマザーの顔も持つキル・ボクスン。イベント会社勤務と偽っているが、その嘘を隠し通せるほどMKエンターテイメントは企業然としている。会社には社員証が必要で、社員は評価基準によって案件に差も。ボクスンは代表チャ・ミンギュからの寵愛もあってキャリアは順風満帆だが、契約更新目前、反抗期の娘ジェヨンとの関係に悩み中。そんな中、ボクスンが仕事で失敗したことで、業界のルールが破綻していくー。
『名もなき野良犬の輪舞』では潜入捜査中の刑事と裏社会のトップ、そして『キングメーカー 大統領を作った男』では政治家と選挙アドバイザーの、信念と信頼の狭間に揺れる人間模様を描いてきたビョン・ソンヒョン監督。本作も、今までの作品に通じる“愛憎”をテーマに盛り込んでいる。
ボクスンとミンギュの関係は歪だ。ミンギュはボクスンが17歳の時に出会い、彼女が天性の殺し屋だと気づいた瞬間に恋に落ちている。しかし、規律人間のミンギュ。子どものボクスンに男女関係を望むことはルール違反と考え葛藤を抱えていたのだろう。それゆえ、彼女を一流の殺し屋へと育ててきた父親代わり兼上司としてボクスンと携わっているが、ボクスンは「子育てと人殺し」の矛盾にぶち当たり、仕事よりも娘への愛を選ぼうとしている。その選択が下された瞬間、相手への愛を渇望する曲(ハーブ・アルパート「ディス・ガイ」)がBGMとして流れるのが非常に切ない。そして、可愛さ余って憎さが百倍。愛するボクスンが最も苦しむことを行なうのである。
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チョン・ドヨンを軸に構築された作品
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ボクスンを演じたのは、「カンヌ映画祭」受賞歴を持つベテラン俳優であり、映画『非常宣言』やドラマ『イルタ・スキャンダル~恋は特訓コースで~』(以下、イルタ・スキャンダル)など、立て続けに話題作に出演しているチョン・ドヨン。『イルタ・スキャンダル』で一家の大黒柱を務めながら娘(※正確には姪)の受験勉強をサポートするキャラクターを演じていたこともあり、仕事をバリバリこなしながら娘に翻弄される母親はハマり役だった。それもそのはず、本作はソンヒョン監督がチョン・ドヨンのために生み出した作品でもあるからだ。
監督は『名もなき野良犬の輪舞』『キングメーカー 大統領を作った男』の主演俳優ソル・ギョングの計らいでドヨンと知り合いに。これまで様々な役柄をこなしてきたドヨンのイメージを最も覆すものにしよう、と共にアクション作品を作ることになった。そして親しくなるうち、“母チョン・ドヨン”と“俳優チョン・ドヨン”のギャップが大きいことに気づき、俳優という職業を殺し屋に置き換えたキル・ボクスン像が完成したという。クリーニング店の制服からワインレッド色のベロアスーツまで着こなし、時には笑顔で、時には哀しみをたたえながら人を殺めるボクスンは、無邪気さと妖艶さという正反対の魅力を兼ね揃えるドヨンならではだ。
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さて、「ソル・ギョングを最もセクシーに撮る監督」と称されるソンヒョン監督。最終的にボクスンと対峙することになるミンギュ役に選んだのは、もちろんソル・ギョングだ。今回も『名もなき野良犬の輪舞』『キングメーカー 大統領を作った男』に続き、主人公との関係に翻弄される、悲哀に満ちたキャラクター。普段は殺人請負業界のトップとして幅を利かせる大企業の社長で、自ら現場に赴き単身でマフィア組織を全滅させるほどの実力派。しかしボクスンへの想いは上手く表現できない、そんな不完全さが魅力のミンギュを、やはり“セクシー”に演じている。
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セクシーと言えばもう1人。兄ミンギュを過剰に愛し、ボクスンへの嫉妬心を剥き出しにする、MKエンターテイメント理事チャ・ミンヒだ。自身の欲を満たすために周囲の人々を刺激するゲームチェンジャーで、結局のところ、全員が彼女の掌で転がされることになる。演じるのは、『模範タクシー』『この恋は初めてだから』などのイ・ソム。抜群のスタイルを最大限に活かしながら、限られた登場時間で強烈な印象を残している。
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ボクスンの後輩ハン・ヒソン役は、ドラマ『D.P. -脱走兵追跡官-』や映画『モガディシュ 脱出までの14日間』など話題に事欠かない、旬の俳優ク・ギョファン。ボクスンに対して尊敬心・恋心・嫉妬心入り混じる複雑な感情を抱いている役どころを、彼らしく飄々と演じている。
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MKエンターテイメントの期待の新人キム・ヨンジ役は、ドラマ『未成年裁判』の残忍な少年犯役でブレイクした注目株イ・ヨン。『イルタ・スキャンダル』にて、ドヨン演じる主人公の若き頃を演じているという、何とも縁のあるキャスティングである。本作でも高い演技力を発揮しており、ドヨンとのアクションシーンも息ぴったりだった。
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ボクスンの娘キム・ジェヨンは、映画『キングダム アシンの物語』やドラマ『静かなる海』など、Netflix韓国作品の常連になりつつあるキム・シア。辛い時には母には助けを求めながらも、母を論破できるほど思考が発達している、微妙な年頃のキャラクターを隙なく演じている。
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そして忘れてはいけないのが、ボクスンが依頼を受けて暗殺する、暴力団のトップ織田真一郎役としてファン・ジョンミンがサプライズ出演していること。映画『ユア・マイ・サンシャイン』で大恋愛を繰り広げていた2人が殺るか殺られるかの戦いを行なうことになるとは、誰が予想しただろうか。監督が明かしたところによると、今回のゲスト出演はドヨンがジョンミンに連絡したことから実現。ジョンミンは脚本も読まずに出演を快諾したという。
あらゆる魅せ方をこれでもかと詰めこんだ映像作品
『名もなき野良犬の輪舞』でも、カメラを360度回転させてあちこちで展開されている戦闘を舐め回すように紹介し、巨漢にぶん投げられる主人公の自撮り風映像などワクワクする視覚効果を盛り込んでいたが、『キル・ボクスン』には、そんなソンヒョン監督の「アクションシーンをいかに面白く伝えるか」を追求した映像も楽しめる。
通過電車の隙間越しに見えるコマ送りのような織田戦に始まり、シーソーのように右へ左へと水平線が傾く新人との腕試し勝負、まるでTPSゲームのように画面いっぱいに情報量を詰め込んだミンギュによるウラジオストク案件遂行。どれもスタイリッシュだが、つい先ほどまで酒を飲み交わしていた同業者たちがボクスンの首を取ろうとした場面では、ギャグ要素も忘れない。人を殺すことが日常の彼らにとって、同士との殺し合いは戯れ合っているようなもの。阿吽の呼吸で攻撃と防御を繰り返し、そのテンポの良さが笑いをもたらしている。
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ボクスンがミンギュからの教えに倣い、常に相手の次の一手を先読みすることを表現した映像もユニークだった。ラストのミンギュ戦では、ボクスンは自身が殺される未来を何通りも想像し、その様子が部屋いっぱいに映し出される。二人の死の舞いが部屋いっぱいに繰り広げられ、スローモーションで血飛沫が飛んでいく光景は何とも美しかった。どうやら監督は俳優たちに負担をかけたことが辛かったようで、今はその手の企画に消極的のようだが、個人的には今後もアクションを撮り続けてほしいと願っている。
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また、赤と緑の演出も印象的だ。血を見る職に就いているボクスンは、プライベートでは無意識的に“緑”のある場所・物などを選んでおり、娘が“赤”の物などを選ぼうとすると遠ざけようとする。娘に仕事のことを知られたくない一心を視覚的に表現しているのだろう。観る時には、ぜひその点にも注目してみてほしい。
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本作についてあえて揚げ足を取るとすれば、各キャラクターの描写に薄いところもあり、設定にツッコミどころもあるという点だが、本作はそんな細かい箇所は抜きにして、新たな殺し屋キャラが繰り広げる熾烈なる愛憎劇、過剰なるアクション映像美を堪能してほしい。
■筆者プロフィール
山根由佳
執筆・編集・校正・写真家のマネージャーなど何足もの草鞋を履くフリーライター。洋画・海外ドラマ・韓国ドラマの熱狂的ウォッチャー。観たい作品数に対して時間が圧倒的に足りないことが悩み。ホラー、コメディ、サスペンス、ヒューマンドラマが好き。