故郷の大分時代からバンドを組んでいたユースケは、その頃の知り合いを頼って上京し、ラテンバンド「BINGO BONGO」にボーカルとして加入。だがその時はまだ本名の中山裕介だったという。
そこでメンバーから「顔は地味、名前も地味」と言われ、ラテン名で多い「サンタマリア」「ゴンザレス」「ティト」の中からどれが良い?と選択を迫られたという。
彼は「サンタマリアが一番良い」と判断し、改名したというが、「(どちらにしても)無理やりつけられた名前なんですよ」と振り返った。
だがここでユースケの音域が狭いことが発覚し、急遽、歌の上手い女性ボーカルが新加入。しばらくはツインボーカルで活動していたが、「いつの間にか(自分の肩書きが)『MC&ボーカル』になってた。挙句の果てに、『司会&MC』になっていた」と明かし、笑いを誘っていた。