アンドロイド観音、誕生!
京都市東山区の高台寺でお披露目されたアンドロイド観音「マインダー」が話題だ。2月23日に同寺の僧侶らによって開眼供養されたときの様子は、メディア各社から報道されるとすぐにSNSで拡散されて全国を駆け巡った。
法話といえばお坊さんの話をうやうやしく拝聴するというのが相場であるが、アンドロイド観音はプロジェクションマッピングで般若心経を投影しながら聴衆に語りかける。どちらのスタイルが現代人の心に響くのか、戦いの火ぶたが切って落とされた感がある。
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アンドロイド観音は高さ195cm。顔や手はシリコン製だが、大半はアルミニウム材である。左目にはカメラが内蔵されている。高台寺では3月8日から5月6日までアンドロイド観音が一般向けに公開される。予約は同寺ホームページから受け付けるという。
仏師が空飛ぶ仏像に込めた願い
思いがけないことに、アンドロイド観音が話題を集めると、私のお寺にもテレビ局から取材の話が寄せられる。昨年11月に本邦初飛行を遂げた「ドローン仏」のこととあわせてニュースにしたいというのである。どちらも「仏像×IT」の極めて先鋭的な試みであることに加え、アンドロイド観音の開発費が5,000万円なのに対してドローン仏はわずか10万円というコントラストもまた面白いらしい。
ドローン仏というのは、その名前の通り、ドローンに乗った仏像のことである。開発したのは私ではなく、仏師の三浦耀山さんである。私はお寺の本堂を提供したにすぎない。ドローン仏は阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩の三体があり、いずれも三浦さんが彫刻した木像をスキャニングして3Dプリンターで出力されている。高さ約10cm。中は可能なかぎり空洞化して重量わずか13グラムに収めた。これぐらい軽量化しないと、ドローンが飛ばないらしい。
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記念すべき初飛行のときの記録映像がこちら。
https://www.youtube.com/watch?v=IdVMImjbvFg
私たちが臨終を迎えるとき、南無阿弥陀仏と唱えれば阿弥陀如来が菩薩たちとともにお迎えに来る様子を、現代のテクノロジーによってビジュアル化しようというのが三浦さんの願いである。最終的にはドローンをさらに買い増して「阿弥陀二十五菩薩来迎図」を表現したいのだという。
苦しむから共感できる
もっとも、三浦さんの脳裏には厳かな来迎の風景がイメージされていたのだろうが、阿弥陀三尊が空中に浮きあがると同時に堂内はざわつき、クスクスと笑う声がそこかしこから漏れた。そして居合わせた人はいっせいにスマホを取り出して撮影を始めた。
私はアンドロイド観音「マインダー」の開眼法要には参列しなかったが、聞くところによると、衝撃的な姿(特にむき出しのアルミニウム材)を目の当たりにした参列者のあいだには、厳かというよりも異様な空気感が流れていたという。
また、2016年には京都の宝蔵寺で住職を模した僧侶ロボット「AU」が作られ、ロボットによる法要が営まれたが、参列者は静かに読経を聴くよりは、終始なにやら私語を話していた。
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仏像や僧侶がITによってハックされる光景がまだまだ物珍しいから、落ち着いて拝むだけの心の準備が整っていない――そういう理解もできるだろう。しかしながら、仏教が人間の苦しみや悲しみに寄り添うものであるなら、仏教の世界をITで表現し尽くすのは相当ハードルが高いと私は考えている。なぜかというと、
・囲碁や将棋などは盤の目の数もはっきり定まっているので演算処理をしやすいが、人間の苦しみや悲しみなどの感情は0か1かではなくグラデーションがあるうえに、刻々と変化するから数値化しにくい。
・AIは膨大な情報をもとにして学習する力には長けているけれども、たとえば東日本大震災のような未曽有の状況を前にしたときに、人間の判断力に及ばない。また、未曽有の状況を乗り越えるときに必要なのは、人智を超えたものへの祈りだったりする。
そして特には、
・苦しみを経験しないロボットよりも、苦しみを感じる人間同士のほうが共感しあえる。
というのがその理由である。私は阪神淡路大震災のときに停電や断水を経験したし、学校の後輩も一人失った。それはつらく悲しい出来事だったが、東日本大震災の被災地に行ったときに「私も以前震災で……」と言うと、初対面の相手でも不思議なほど親しみを持ってもらえた。あるいはまた、死別はいつの時代にもつらいものであるが、葬儀の参列者が故人を偲んで一緒に涙を流し合うなら、死の悲しみを越えていく力が生まれてくる。
とはいえ、囲碁や将棋なら、人間かAIかどちらが勝つか決着しようということになるが、お寺のなかで別にシロクロつける必要はなく、長所をとっていけばいい。
この原稿を書いているいま、私は花粉症に悩まされている。お経を読んでいても鼻声になる。ひどいときには喉までやられて声がかすれる。だが、ロボットは病気にならない。私の体調が優れなかったり寝込んだりしているときに助けてくれるコピーが開発されると嬉しい、というのは正直な期待である。
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【著者】池口 龍法
1980年兵庫県生まれ。兵庫教区伊丹組西明寺に生まれ育ち、京都大学、同大学院ではインドおよびチベットの仏教学を研究。大学院中退後、2005年4月より知恩院に奉職し、現在は編集主幹をつとめる。2009年8月に超宗派の若手僧侶を中心に「フリースタイルな僧侶たち」を発足させて代表に就任し、フリーマガジンの発行など仏教と出合う縁の創出に取り組む(~2015年3月)。2014年6月より京都教区大宮組龍岸寺住職。著書に『お寺に行こう! 坊主が選んだ「寺」の処方箋』(講談社)、寄稿には京都新聞への連載(全50回)、キリスト新聞への連載(2017年7月~)など。
■龍岸寺ホームページ http://ryuganji.jp
■Twitter https://twitter.com/senrenja