宍戸は、21日に自宅で死亡しているところが発見されたが、これまでその原因などについては分かっていなかった。日活によれば、宍戸が亡くなったのは18日で、原因は虚血性心疾患だったという。その後、本人の意向から、葬儀は23日に近親者のみで行われた。
日活ニューフェイス第1期生として1954年に日活に入社した宍戸は、1960年に日活ダイヤモンドライン入り。ハードボイルド作品を中心に日本映画黄金期のスターとして活躍し、日活出演作は170超えを誇った。日活は、「生前の偉大なご功績に深い感謝の意と尊敬の念をもって、謹んで哀悼の意を表します」とし、長女・紫しえのメッセージも紹介している。
そこには「晩年は『エースのジョー』ではなく、父・宍戸錠として、私、義理息子(夫)と穏やかに過ごしておりました。特に私ごとになりますが、里子を預かってからは本当のお爺ちゃまの様になり、『オマエは良い俳優になれる!』と、アクションを孫(里子)に教える日々でした」と孫にアクションを教えていた日常が明かされていたり、「私達親子は長年過ごしてきた強面の宍戸錠とは思えない時を過ごすことが出来ました」など、宍戸の穏やかな晩年が綴られている。