小林幸子、芸能生活最大のピンチを救った恩人はさだまさし
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2012年3月末、小林の個人事務所「幸子プロモーション」の女性社長と専務が退社。これをめぐりマスコミは、長年苦楽を共にしてきた功労者を裏切ったなどと一方的に書き立てたことで、小林に対する大バッシングが巻き起こった。
騒動を気にしたレコード会社は新曲の発売を無期限延期に。『NHK紅白歌合戦』の34年連続出場を狙っていた小林は、何とか自力で新曲を出したいと、レコード会社との契約解除を申し入れ、自主レーベルを設立。
ところが新曲の権利はレコード会社にあったため売り出すことができず、別の曲を作らざるを得なくなった。そこで知り合いの音楽関係者に小林自ら曲作りを依頼するも、騒動のネガティブイメージが尾を引き、ことごとく断られたという。
「もう四面楚歌になってしまった」と、当時の状況を振り返った小林。窮地に追い込まれた彼女が電話をかけたのが、40年来の友人・さだまさしだった。苦境を伝えると、彼は「分かった。頑張って作るから、(曲が)できたら連絡するね」と言って切ったという。
すると何と翌日、「できたぞ!」と、さだから完成の連絡があったそう。実は自身のアルバム制作などのために使用するはずだったスタジオに一人こもり、彼女のためだけに時間を割き、1日で作り上げたという。それが『茨の木』という曲だった。
その年の『紅白』は落選したものの、小林はその後ニコニコ動画などで若者からの人気を獲得。その噂を聞きつけたNHKから2015年、“特別枠”として『紅白』にオファーされ、念願だったステージに4年ぶりに返り咲いた。坂上忍は「この復活劇って気持ち良くないですか?」と褒めたたえていた。