西野は1999年、吉本のお笑い養成学校NSCに入学。同年9月にキングコングを結成すると、翌2000年、NSC在学中に「NHK上方漫才コンテスト」で最優秀賞を受賞。さらに翌2001年には『はねるのトびら』(フジテレビ系)がスタートした。
そんな中、彼は25歳のとき、「自分が苦手なもの一切をやめる」と決心。バラエティのひな壇メンバーや、クイズ番組、グルメ番組に出ることをやめたそう。すると他の芸人から一斉に批判されたそうで、「あのときは1回死にかけましたね」と回顧。心をすり減らしたと振り返った。
そのときに救ってくれたのがタモリだったという。彼は特に西野の絵を見てもいないのにいきなり「お前、絵を描け」と言ってきたのだという。さらに「描けるようになるから描け」ともアドバイスしてきたそう。
西野は言われるがままに絵を独学で学び、絵本作家デビュー。だが当初は評価はなかなか上がらなかったそう。だがタモリは「時代を追うな。時計の針は1周回って、お前のところに来るから。とにかくお前はその場所に居続けて、ずっとそこでコツコツやっとけ」と諭したという。その言葉を信じて描き続けた西野。彼の絵が世に認められたのは、その約10年後のことだった。