「出るときは二度とここに帰ってくるまい」と心に決めて故郷から飛び出したという西川。だが2008年、県内初の観光大使「滋賀ふるさと観光大使」に任命されると、県庁や各市町村を頻繁に訪問。また2009年からは音楽フェス「イナズマロックフェス」を主催している。
一度は決別した地元で活動を始めた本当のキッカケについて彼は、病床にあった母親の様子を見に帰りたかったからと告白。その面倒を見るため「休みくださいというのも言いづらかった」としながら、観光大使やロックフェスといった仕事も「帰る理由を作るために仕事にしたというのが本音」と語った。
だがそんな母親も3年前に他界。一昨年、10周年を迎えたイナズマロックフェスについても「(母親に)見てほしかったなぁ」としみじみ述べた。母は進行性の病気で四肢が動かなくなっていたというが、その手で「いい大人になってる僕の頭を雑になでてくれるんで……それがご褒美みたいな」と話した。
「本当に誰かのためになってるかなんて正直分からない」とも打ち明けた西川。「でも少なからず、家族や自分の近くにいる人たちが、笑顔でいてくれるように頑張りたい」と抱負を述べていた。