堀は、最初にがんを告げられた際、「15歳で人よりも早く社会に出て、人よりも早くいろんなことを経験して、人よりも早く人生をまっとうしたんだと思ったら私自身は悔いがない」と、最初は割り切っていたそう。
さらにもともとは世間にも公表せず、がん治療も緩和ケアを続けようと思っていたのだとか。だが家族にがんを告げた際、16歳の娘に「せっかく何度も病気を治してきたのに、今度はがんなんて、お母さんが可哀そうすぎる」と泣かれたそう。
この娘の言葉に胸を打たれたという堀。涙を流しながら、「その時に初めて、生きなければって……。生きなければって、その時に初めてそう思いました」と決意したという。
そして、「子どもたちに可哀想だと思われたまま、人生を閉じるわけにはいかない」と声をつまらせながら、病ときちんと向き合う気持ちを明かしていた。