シンガーソングライターの泉谷しげるが、覚せい剤が合法だった少年時代の体験を明かした。 泉谷は9日にブログを更新し、「たしか~1962年頃まで映画界は撮影現場にてヒロポン(覚醒剤)を配ってたとか!」「取り締まりか本格化したのは64年に『東京オリンピック』が開催されるので先進国になるためにも、地域の『暗部一掃』キャンペーンだったンではと云われてンだよ。しかし、突貫工事に近い競技上建設スケジュールにて労働者の多くに覚醒剤が配給されてたってンだからな~!」(原文ママ)と当時を振り返った。 そして自身が14歳だった頃、「まわりの大人はワルな雰囲気を持ってる者おおく街の盛り場で『兄ちゃん1本打っとくか?元気になるよ』とフツーに声かけて来たもんさ」と、勧められることもしばしばだったという。「だが中学生のオイラは、成長ざかりで寝るのが大好きな頃さ。何日も眠らないで働く労働力なンぞいらないし、ナニより注射が大キライだったからね~嫌いが身を助けたかも!(笑)」と、薬物に手を出さずに済んだ“幸運”を明かした。